「なるようになる」と「なんとかなる」
この言葉は、単なる諦めや他力本願とは異なる側面も持っていると考えられます。
自分ではコントロールできない事柄に対して、過剰に抗ったり心配したりするのではなく、
あるがままの流れを受け入れようとする姿勢を示唆しているのかもしれません。
「なんとかなる」が、どちらかと言えば未来への楽観的な期待や、
自分自身の潜在的な能力への信頼を含むのに対し、
「なるようになる」は、より大きな流れや運命のようなものへの委ね、
というニュアンスが強い可能性があります。
人生で起こる様々な出来事に対して、一喜一憂しすぎず、
平静、落ち着きを保つ助けとなる考え方、心の持ちようかもしれません。
自分の力ではどうにもならない状況や、結果が不確かな事柄に対して、
心を穏やかに保ちたいと考える人にとっては、支えとなる言葉になり得るでしょう。
この言葉を盾に、主体的な努力や責任を放棄してしまうことには注意が必要です。
「なるようになる」という境地は、
自分ができる限りの努力をした後、その結果を運命に委ねるという「人事を尽くして天命を待つ」
に近いかも知れません。
と、ある本には書いてありました。
しかし、なんとかなっているのは、誰かがなんとかしているから!
ここを忘れてはいけません。