日本語はやっぱり難しい

先日のこと
大相撲秋場所をTV観戦していました。
まだ若い力士が土俵に上がりましたが、髷が結えていません。
私が思わず
「髷が間に合わなかったんだね」と言うと
娘が
「ちゃんと時間管理しないとダメでしょ」と一言。
家族の会話に一瞬の間が空きました。
婿どのが、
「時間が間に合わないことではなく、力士としての出世スピードが
早くて、髷が結えるように髪が伸びるのが間に合わないってことだよ」と
註釈を付けてくれました。
日本語は難しいと改めて感じました。

しかし
婿どのは外国籍です。

どーゆーことだ?

天変地異 自然は凄いと

日本は大丈夫なのかと思わせる気象状況が続いています。
台風、大雨、洪水、地震 まさに天変地異。
警報、注意報のオンパレードに、次は何だ!?という感じです。
携帯電話の警報設定には、
自宅地域、職場地域、実家地域等を入力しているため、
広範囲での警報が、、、けたたましい午後でした。
しかし、自然の威力に人間は逆らえないとは言え、
予防線を張る事は可能でしょう。
各自でも備えは必要です。
地域に建つ電柱に「多摩川が氾濫した場合の浸水域」というものが、
貼り付けられています。なんと近隣周辺で2.0m。
これはただごとでは済まないと、改めてハザードマップ見なおしました。
なんと完全に水没地域かぶります。
災害時避難用のゴムボートを購入しようかと計画中。
それにしても
全国各地の復旧活動がスムーズに進むことを願います。

情報ではなく人を見よう

先日の看護管理学会にて。
患者の「情報をとってくる」を考えると題してのセッションの一コマです。
情報をとるとはどういうことかを考えさせられました。
例えば
・カルテ(情報)を読み、他の看護師から情報を聞かないとベッドサイドに行けない
・引継ぎの際、あれこれ、とことん情報を得ないと気がすまない
・看護過程は、必ず「情報収集」から始まるのであって、「実践」から始まったり、
 もしくは「実践しながら情報収集する」などという事が頭にない
・情報収集は他人に委ねられると考え、自分で観察したり、会話したりという課程から
 情報収集するという認識が薄い
これらの傾向にある看護師は、情報依存症と診断されるらしいです。
さらに、この依存症は臨床経験を積む(おおよそ5年以上)と、自然治癒するらしいです。
経験知というものが、情報依存症から解放してくれるようです。

学生時代に
「看護は観察から」と教わったのですが、今の時代は情報からでしょうか。

そういえば、自分が患者の時に、
看護師に薬を頼んだら
「カルテ見てないので、また来ます」って言われて、愕然とした記憶があります。

学生や新人看護師とともに、考えてみたいと思いました。
まず、人を見よう!
看護は観察から。

9月9日は救急の日

9月9日は「救急の日」です。
皆さんご存じですか。だいぶ普及してきたのではないかと考えていますが。
救急の日は「9(きゅう)9(きゅう)」の語呂合わせです。
救急医療関係者の意識向上とともに、
救急医療や救急業務に対する国民の正しい理解と認識を深めることを目的として、
1982年に厚生労働省によって定められました。

9月9日の「救急の日」を含む9月7日(日)~9月13日(土)は「救急医療週間」です。
救急医療に対する関心が高まっている現在、いざというとき私たちに何ができるのか、
を知っておくことはお互いの命を守るためにも必要です。
皆さんの住む自治体でもいろいろな形で啓発活動が行われることでしょう。
この機会に、万が一のときに役に立つ情報を手に入れましょう。
そういえば、昨年のこの時期に出た子供向け雑誌
付録は、「おやこで! AEDたいけんセット」
園児の知育学習雑誌『幼稚園』10・11月号 2024年8月30日
「あんぜんをまなぼう号」
いや、すごい子供雑誌出てましたねー
かなり本格的なAEDで、買い求めようかと迷っているうちに完売してました。
残念。
咄嗟のときに大きな声で助けを求めたり、AEDを使ったり、心肺蘇生を行ったりするなど
一人ひとりの行動が重要であり、それが救命につながります。
子供のころから興味を持ってもらうこと、
正しい知識を得ていくことは大切です。

ちょっと人助けしてくる

人助け・・という言葉から連想されたのですが
「情けは人のためならず」という格言を聞いたことがあると思います。
【情けは人の為ならず】
情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る。
人に親切にしておけば、必ずよい報いがある。
(『広辞苑 第七版』岩波書店)
つまり「情けは人の為ならず」は、
「人に情けをかけると、めぐりめぐって自分や身内のためになる」という意味です。
では
「情けは人の為ならず」には続きがあると聞いたことはありませんか?
『武士道』の著者であり教育者、新渡戸稲造が書いた一節です。
「施せし情けは人の為ならず おのがこゝろの慰めと知れ
 我れ人にかけし恵は忘れても ひとの恩をば長く忘るな」
(『武士道的一日一言』新渡戸稲造著・山本史郎解釈・朝日新聞出版/2017年)
続きも含めた全体の意味は
「情けは他人のためではなく自分の心を満足させるため。
 だから、自分が他人にした良いことは忘れて、人から受けた恩は長く覚えていなさい」
深いですね。

なぜそんなことを考えていたかというと、今の自分の行動は
人の役に立っているのだろうか??と疑問がわいてきたからです。

そんなわけで(どんなわけかと一人ツッコミ)
「ちょっと人助けしてくる」と思い至りました。
皆さんが日常のわずかな時間で可能な「人助け」を知っていますか。
きっと経験したことがある方も多いのではないかと思います。
それは

9月1日は防災の日

1923(大正12)年9月1日午前11時58分、関東地方一帯を襲った大地震関東大震災。
マグニチュード7.9とされる大地震は、震源地が首都圏に近い相模湾近郊だったこともあり、
死者・行方不明者 約14万2800人以上
家屋全半壊 25万戸以上
焼失家屋 44万戸
と言われる被害を出す大災害となりました…。
この大震災を忘れることなく常に災害に備える意図から
被害者への追悼とともに記念日が制定されました。

非常時でも慌てることなく避難する術を日頃から意識しておく
だけでも万が一の際に役立つとされ、その心持ちが大事だとされています。
天災は忘れたころにやって来る。
合わせて防災用品・備品などの点検の日として
習慣化させていくことも必要だと言われています。

なんとかなる

「なるようになる」と「なんとかなる」

この言葉は、単なる諦めや他力本願とは異なる側面も持っていると考えられます。
自分ではコントロールできない事柄に対して、過剰に抗ったり心配したりするのではなく、
あるがままの流れを受け入れようとする姿勢を示唆しているのかもしれません。
「なんとかなる」が、どちらかと言えば未来への楽観的な期待や、
自分自身の潜在的な能力への信頼を含むのに対し、
「なるようになる」は、より大きな流れや運命のようなものへの委ね、
というニュアンスが強い可能性があります。
人生で起こる様々な出来事に対して、一喜一憂しすぎず、
平静、落ち着きを保つ助けとなる考え方、心の持ちようかもしれません。
自分の力ではどうにもならない状況や、結果が不確かな事柄に対して、
心を穏やかに保ちたいと考える人にとっては、支えとなる言葉になり得るでしょう。
この言葉を盾に、主体的な努力や責任を放棄してしまうことには注意が必要です。
「なるようになる」という境地は、
自分ができる限りの努力をした後、その結果を運命に委ねるという「人事を尽くして天命を待つ」
に近いかも知れません。

と、ある本には書いてありました。
しかし、なんとかなっているのは、誰かがなんとかしているから!
ここを忘れてはいけません。

学会参加で夏が過ぎる

学会は東京近郊と地方都市を交互に会場とするケースが多いです。
昨年は東京、その前は福岡、その前は千葉だったような記憶があります。
そして今年は北海道です。
北海道に来るのは久しぶりです。
数年前までは、学校訪問で北海道にも度々来ていましたが、
日程調整が困難だと、酷い時は日帰り強行なんてやってました。
今年の学会参加ですが、一般参加ではなく一応座長というお仕事です。
自分の担当までは久しぶりの演題聴講など、少しゆっくりできました。
空いた時間で近所も少し散策できて、ちょこっと観光気分。
それにしても到着時点では曇りだったこともあり、
東京とは10度近くの気温差で、服装のチョイスに悩みました。

間違えることは悪いことではない

注文を間違える料理店
聞いた事がある人、行ったことがある人も多いでしょう。
検索して頂ければ、きっとその取り組みに共感すると思います。

人間は皆、何かしら間違えます。
特に年齢とともに、認知機能は衰えています。
間違えることは悪いことではありません。
そして、この料理店では
店も客も、間違えることを前提に行動しています。
前提があると、許容範囲が広がります。
私が見た光景は、
ホール係の方が注文された料理をテーブルに運ぶ・・までは良かったのですが、
そのまま着席して運んできた料理を食べながら、客と話始めるという場面でした。
お客さんは笑顔で一緒に話をしています。
前提があると人は誰しも許容範囲が広くなる実例かと思いました。

私も
周囲の方々が許容範囲を広げて頂けることを期待しています。

言葉を大切にするとは

「考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、
 習慣は人格となり、人格は運命となる」(マーガレット・サッチャー)

洋の東西を問わず、言葉の大切さは皆が思うところだと思います。
声は人なり、言葉は心なり。
自分の言葉を発する前に、きちんと考えてから話さないと
後々大変なことになる場合もあります。
自分の発した言葉を、自分の耳で聞くことにより
自分自身の行動が影響を受けるということもあります。
また自分自身の言葉で発信する=宣言することによって、認識を新たにし
目標に向かって進めることもあります。
丁寧に言葉を選ぶことによって、人生そのものが変化するかも知れません。
きちんとした日本語を使おうと思います。
最近、言葉が乱れていると感じていたもので、心がけようと考えました。

言葉を大切にできる人は、きっと人も大切にしてくれると思います。