9月9日は救急の日

9月9日は「救急の日」です。
皆さんご存じですか。だいぶ普及してきたのではないかと考えていますが。
救急の日は「9(きゅう)9(きゅう)」の語呂合わせです。
救急医療関係者の意識向上とともに、
救急医療や救急業務に対する国民の正しい理解と認識を深めることを目的として、
1982年に厚生労働省によって定められました。

9月9日の「救急の日」を含む9月7日(日)~9月13日(土)は「救急医療週間」です。
救急医療に対する関心が高まっている現在、いざというとき私たちに何ができるのか、
を知っておくことはお互いの命を守るためにも必要です。
皆さんの住む自治体でもいろいろな形で啓発活動が行われることでしょう。
この機会に、万が一のときに役に立つ情報を手に入れましょう。
そういえば、昨年のこの時期に出た子供向け雑誌
付録は、「おやこで! AEDたいけんセット」
園児の知育学習雑誌『幼稚園』10・11月号 2024年8月30日
「あんぜんをまなぼう号」
いや、すごい子供雑誌出てましたねー
かなり本格的なAEDで、買い求めようかと迷っているうちに完売してました。
残念。
咄嗟のときに大きな声で助けを求めたり、AEDを使ったり、心肺蘇生を行ったりするなど
一人ひとりの行動が重要であり、それが救命につながります。
子供のころから興味を持ってもらうこと、
正しい知識を得ていくことは大切です。

ちょっと人助けしてくる

人助け・・という言葉から連想されたのですが
「情けは人のためならず」という格言を聞いたことがあると思います。
【情けは人の為ならず】
情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る。
人に親切にしておけば、必ずよい報いがある。
(『広辞苑 第七版』岩波書店)
つまり「情けは人の為ならず」は、
「人に情けをかけると、めぐりめぐって自分や身内のためになる」という意味です。
では
「情けは人の為ならず」には続きがあると聞いたことはありませんか?
『武士道』の著者であり教育者、新渡戸稲造が書いた一節です。
「施せし情けは人の為ならず おのがこゝろの慰めと知れ
 我れ人にかけし恵は忘れても ひとの恩をば長く忘るな」
(『武士道的一日一言』新渡戸稲造著・山本史郎解釈・朝日新聞出版/2017年)
続きも含めた全体の意味は
「情けは他人のためではなく自分の心を満足させるため。
 だから、自分が他人にした良いことは忘れて、人から受けた恩は長く覚えていなさい」
深いですね。

なぜそんなことを考えていたかというと、今の自分の行動は
人の役に立っているのだろうか??と疑問がわいてきたからです。

そんなわけで(どんなわけかと一人ツッコミ)
「ちょっと人助けしてくる」と思い至りました。
皆さんが日常のわずかな時間で可能な「人助け」を知っていますか。
きっと経験したことがある方も多いのではないかと思います。
それは

9月1日は防災の日

1923(大正12)年9月1日午前11時58分、関東地方一帯を襲った大地震関東大震災。
マグニチュード7.9とされる大地震は、震源地が首都圏に近い相模湾近郊だったこともあり、
死者・行方不明者 約14万2800人以上
家屋全半壊 25万戸以上
焼失家屋 44万戸
と言われる被害を出す大災害となりました…。
この大震災を忘れることなく常に災害に備える意図から
被害者への追悼とともに記念日が制定されました。

非常時でも慌てることなく避難する術を日頃から意識しておく
だけでも万が一の際に役立つとされ、その心持ちが大事だとされています。
天災は忘れたころにやって来る。
合わせて防災用品・備品などの点検の日として
習慣化させていくことも必要だと言われています。

なんとかなる

「なるようになる」と「なんとかなる」

この言葉は、単なる諦めや他力本願とは異なる側面も持っていると考えられます。
自分ではコントロールできない事柄に対して、過剰に抗ったり心配したりするのではなく、
あるがままの流れを受け入れようとする姿勢を示唆しているのかもしれません。
「なんとかなる」が、どちらかと言えば未来への楽観的な期待や、
自分自身の潜在的な能力への信頼を含むのに対し、
「なるようになる」は、より大きな流れや運命のようなものへの委ね、
というニュアンスが強い可能性があります。
人生で起こる様々な出来事に対して、一喜一憂しすぎず、
平静、落ち着きを保つ助けとなる考え方、心の持ちようかもしれません。
自分の力ではどうにもならない状況や、結果が不確かな事柄に対して、
心を穏やかに保ちたいと考える人にとっては、支えとなる言葉になり得るでしょう。
この言葉を盾に、主体的な努力や責任を放棄してしまうことには注意が必要です。
「なるようになる」という境地は、
自分ができる限りの努力をした後、その結果を運命に委ねるという「人事を尽くして天命を待つ」
に近いかも知れません。

と、ある本には書いてありました。
しかし、なんとかなっているのは、誰かがなんとかしているから!
ここを忘れてはいけません。

学会参加で夏が過ぎる

学会は東京近郊と地方都市を交互に会場とするケースが多いです。
昨年は東京、その前は福岡、その前は千葉だったような記憶があります。
そして今年は北海道です。
北海道に来るのは久しぶりです。
数年前までは、学校訪問で北海道にも度々来ていましたが、
日程調整が困難だと、酷い時は日帰り強行なんてやってました。
今年の学会参加ですが、一般参加ではなく一応座長というお仕事です。
自分の担当までは久しぶりの演題聴講など、少しゆっくりできました。
空いた時間で近所も少し散策できて、ちょこっと観光気分。
それにしても到着時点では曇りだったこともあり、
東京とは10度近くの気温差で、服装のチョイスに悩みました。

間違えることは悪いことではない

注文を間違える料理店
聞いた事がある人、行ったことがある人も多いでしょう。
検索して頂ければ、きっとその取り組みに共感すると思います。

人間は皆、何かしら間違えます。
特に年齢とともに、認知機能は衰えています。
間違えることは悪いことではありません。
そして、この料理店では
店も客も、間違えることを前提に行動しています。
前提があると、許容範囲が広がります。
私が見た光景は、
ホール係の方が注文された料理をテーブルに運ぶ・・までは良かったのですが、
そのまま着席して運んできた料理を食べながら、客と話始めるという場面でした。
お客さんは笑顔で一緒に話をしています。
前提があると人は誰しも許容範囲が広くなる実例かと思いました。

私も
周囲の方々が許容範囲を広げて頂けることを期待しています。

言葉を大切にするとは

「考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、
 習慣は人格となり、人格は運命となる」(マーガレット・サッチャー)

洋の東西を問わず、言葉の大切さは皆が思うところだと思います。
声は人なり、言葉は心なり。
自分の言葉を発する前に、きちんと考えてから話さないと
後々大変なことになる場合もあります。
自分の発した言葉を、自分の耳で聞くことにより
自分自身の行動が影響を受けるということもあります。
また自分自身の言葉で発信する=宣言することによって、認識を新たにし
目標に向かって進めることもあります。
丁寧に言葉を選ぶことによって、人生そのものが変化するかも知れません。
きちんとした日本語を使おうと思います。
最近、言葉が乱れていると感じていたもので、心がけようと考えました。

言葉を大切にできる人は、きっと人も大切にしてくれると思います。

言いたいことが言える

心理的安全性の定義
心理的安全性は、ハーバード大学のエイミー・C・エドモンドソン教授によって1999年に提唱された概念であり、
チームのメンバーが自分の発言が拒絶されたり、罰されたりしないと確信できる状態を意味します。
具体的には、会議で質問をしたり、意見を述べたりすることができる環境を指します。
心理的安全性が高い職場では、メンバーはリスクを恐れずにアイデアを提案し、問題点を指摘することができます。
(東洋経済オンライン)
心理的安全性は、職場環境の改善やチームのパフォーマンス向上に大きく寄与する要素です。
これを意識することで、より良い職場を作ることができるでしょう。

言われていることは理解できます。
社会的流行り言葉のように感じてしまうのは、私だけでしょうか。
心理的安全性が担保されている職場では、言いたいことが言える。
言いたいことが言えるということは、言ったことに責任を持つということです。
この原則を押さえたうえでの、心理的安全性です。
はき違えてはいけないと思うのは、信頼関係がない中に安全性は担保されない
ということだと思うのです。

日本語は難しいです

日本語は難しい
よく言われますが、日本語圏内で生活しているにも関わらず
解釈が難しいと感じる場面が増えました。
よく使われるようになってしまい、すでに市民権を得ているかのような
単語「やばい」

使用される場面と、前後の文脈から推測する必要があります。
例えば
今日のメシ、「やばい」
和訳1. 「やばい」=おいしい つまり「今日のご飯は美味しい」
和訳2. 「やばい」=まずい  つまり「今日の食事はまずい」
同じ日本語ですが、意味は真逆です。
文脈や場の雰囲気から察するわけですが、大抵は和訳1.で使用されることが多いように感じます。

そもそも「やばい」という言葉は、
あぶない・不都合だ・具合がわるい、というような意味も由来も悪い人(事)に使っていたそうです。
それが若者言葉の中で「怪しい」「恰好悪い」という意味が加わり
さらに「すごい!」「すてき!」といった、肯定的な意味で使われるようになってきたという
時代とともに変化しているようです。
これは古典の中でも同様な事象が書かれているので、言葉というものは変化するものとは思いますが、

何でも一言で済ませて良いのかという疑問は残ります。

人間モニタリング

同名のTV番組ではありません。
ただひたすら電車内で他の乗客を眺めているという、
人間観察という名の暇つぶし・・・
しかし
意外にも面白い生体を発見できます。
その1.立ったまま突然食事timeに入る綺麗なおねいさん
    ペットボトルの飲料を飲む
    持参ボトルが1.5ℓサイズなのは許容範囲でしたが、その後
    菓子パンを食し、カップゼリーのようなものを流し込み、
    最後に化粧も直す (ある意味すごい)
その2. 難しい表情で携帯を眺めるサラリーマン
    その表情からは、携帯で何かの記事を読んでいるか、メール内容が重いのか
    ふと見ると背後の窓ガラスに携帯画面がうっすらと写り込んでいます。
    どう見ても猫。 ねこ好きなんですね?
その3. 学生たちはゲームがお好き
    「おい・・お前マジで地球人とガチ勝負か?!」
    君たちはどこの星の方でしょうか・・・
移動中も楽しく乗車できました。